吉良氏朝、江戸彦九郎の知行を不入とし活躍を期待する
知行方之儀、如先代為不入進候、於公私之内も別而頼母敷思召候間、可被守立事、専一候、我ゝ若輩ニ候之間、如此候、粉骨尽就走廻者、弥ゝ可引立候、為後日仍如件、 永禄四 辛酉 年 二月吉日 氏朝(花押) 江戸彦五郎殿 →-戦国遺 …
知行方之儀、如先代為不入進候、於公私之内も別而頼母敷思召候間、可被守立事、専一候、我ゝ若輩ニ候之間、如此候、粉骨尽就走廻者、弥ゝ可引立候、為後日仍如件、 永禄四 辛酉 年 二月吉日 氏朝(花押) 江戸彦五郎殿 →-戦国遺 …
鶴岡并御門前中横合非分令停止事、 右、違犯之族之者、註交名、急度可有註進之状、仍如件 永禄四年 辛酉 三月五日 康成(花押) 鶴岡 御院家中 →-戦国遺文 後北条氏編「北条康成(氏繁)制札」(鶴岡八幡宮文書) 鶴岡八幡 …
内藤衆何十騎、かち者いか程馳集候、着到を付、急度可申越、於今度諸人不走廻而不叶候、自戦與云、為御国與云、無昼夜嫌、稼可走廻申、内藤同心衆普請稼候者、無用捨可記上申、只今役所普請ニ極候、昼夜共ニ可致之、猶遠山新三郎ニ被仰出 …
由木上下之強人相談、敵動付而之出合可討留、万乙忠信申者ニハ、随望恩賞可被下、此旨各ニ為申聞、可相稼者也、仍如件、 酉 正月廿一日 横地 奉 小田野源太左衛門尉殿 →-戦国遺文 後北条氏編「北条氏照朱印状写」(静嘉堂本集古 …
於足立郡望地一所可進置候、今度於玉縄、尽粉骨、可抽忠信事肝要候、仍状如件、 辛酉 三月三日 氏康(花押) 大平清九郎殿 →戦国遺文 後北条氏編「北条氏康判物」(大平文書) 1561(永禄4)年に比定。 足立郡で望む地所 …
就此度河越籠城赦免条ゝ、 一、借銭・借米徳政之事、 一、本意之上、於忍・岩付領内、望地可出置事、 以上 右、今度当方安危砌候条、軽身命抽而可走廻者也、仍状如件、 十二月二日 氏政(花押) 氏康(花押) 池田安芸守殿 →戦 …
預御状、令本望候、佐白一和、以 上意如形無事簡要候、其方御馳走之由、使者申事候、弥御忠信此時候、当口取乱候、於備者可御心安候、何様以使可申候、恐々謹言、 十一月十六日 氏康(花押) 那須殿 →戦国遺文 後北条氏編「北条氏 …
今度肝要之砌、無二ニ走廻候、喜悦候、於江戸筋一所可遣候、爰元取静、郷名可相定候、猶相稼候者、可為祝着候、仍如件、 永禄三年 十一月十二日 氏康(花押) 梁大蔵丞殿 →戦国遺文 後北条氏編「北条氏康判物」(早稲田大学所蔵文 …
先日者、御懇札再三披見本望候、 一、年来国家御祈念頼入候之処、此度北狄出張、国中山野之躰、被失面目之由、更不及分別候、去春恐景虎威勢、為始正木、八州之弓取不残雖寄来候、武相城之内、江戸・河越七八ヶ所之地、無相違、結句度ゝ …
先日者令啓喜、参着候哉、仍其表遂日御利運之由、雖不始子細、御武略無比類候、今度上州へ及行、箕輪・総社・倉賀野郷村悉撃砕、作毛以下苅執、先至于当国納馬候、来月下旬今川・北条申合、必越利根川、此時可付関東之是非存分候、畢竟御 …