武田晴信、土橋惣右衛門尉の塩尻峠での軍功を褒める
今十九卯刻、於信州塚魔郡塩尻峠一戦之砌、頸壱討捕条、神妙之至候、弥可被抽忠信事肝要候、仍如件 天文十七戊申 七月十九日 晴信(印) 土橋惣右衛門尉との →甲府市史「武田晴信感状」(甲州古文書) 今日19日卯刻、信濃国筑 …
今十九卯刻、於信州塚魔郡塩尻峠一戦之砌、頸壱討捕条、神妙之至候、弥可被抽忠信事肝要候、仍如件 天文十七戊申 七月十九日 晴信(印) 土橋惣右衛門尉との →甲府市史「武田晴信感状」(甲州古文書) 今日19日卯刻、信濃国筑 …
今六日申刻於信刕佐久郡小田井原合戦、頸壱討捕之条神妙之至候、弥可被抽忠信者也、仍如件 天文拾六年丁未 八月六日 晴信(印) 市川五郎次郎殿 →甲府市史「武田晴信感状」(甲州古文書) 今日6日申刻、信濃国佐久郡小田井原で …
一、壬寅九月廿五日、諏方信濃守与御一戦之砌、御東者申、其上高名仕候、於在所者、親者伊豆涯分忠信仕候事 一、甲辰冬、諏方地下人在ゝ所ゝニ逆心人数、就中同名山城被官佐渡与由候て、殊外健者候、逆本之儀条、討進上可申由、板垣駿河 …
十一日之注進状今十四日戌刻着府、如披見者越国衆出張之由候哉、自元存知之前候条不図出馬候、委曲於陣前可遂直談候趣具承候、飯富兵部少輔所可申趣候、恐々謹言 三月十四日 晴信(花押) 木島出雲守殿 原左京亮殿 →甲府市史「武田 …
大坂へ遣候当方之使者、近日其国へ下着之由、先度飛脚来候条越山候、仍長尾上野乱入、自茲、北條氏康申合、既令進陣候間、不得退候、如只今者、景虎滅亡必然候、幸御門跡之御下知之旨、近年申談筋目、御門徒中有相談、此時神保同意、向于 …
従今川殿以一宮出羽守承候間、去七日坂木江指越候、例式豆州ハ大酒振舞まてニ候間、何事も不調談合候、亦小山田をハ佐久郡へ差遣し候、以彼是一向不如意迷惑候、同者急度有出来御意見可為本望候、猶従高白所可申条不能一二候、恐々謹言 …
為加勢人数差越処、自憲盛大慶之由候、可被心得候、扨亦於倉賀野筋被得勝利由、雖不初儀候、時分柄心地好候、有内者聞届分者、源三・大道寺武主計之由申候、越甲何与哉覧取成ニ付而、氏政悃望動之由申候、兎角ニ堅固之動ニ者有之間敷候、 …
去此権現堂・大橋形部帰路ニ申含候条、家康江以使申届候、可然様ニ取成頼入候、彼者若輩ニ候間、被為引廻可為祝着候、敵之仕合、万々無心元迄候、此口隙明、無二従信・関手合可申心中、無他事候、可心易候、猶彼者可申候、恐々謹言、 極 …
「制札」 於小仏谷、当手甲乙人等濫妨狼藉之事、 右、至于違犯輩者、可処罪科状、如件、 永禄四年 辛酉 二月晦日 資正(花押) →上越市史 別編1「太田資正制札」(薬王院所蔵文書) 禁制。小仏谷において、当方の軍勢関係 …
如来意、去秋大嶋越候砌、可遂面談之由存候処、不例故無其儀候、無念候、仍近日氏康為合力関東へ出馬候間、岩付家中弥堅固之異見肝要候、猶飯富源四郎可申候、恐々謹言、 十月廿九日 信玄(花押) 遠山三郎兵衛入道殿 →神奈川県史「 …