今川氏真、原田三郎右衛門の八桑での戦功を褒める
今月朔日、簗瀬九郎左衛門令八桑江其行、城廻小屋五六十放火、敵四五十人討捕之旨感悦、於度々如此候段神妙也、弥可抽戦功之状如件、 永禄三年 十一月十五日 氏真判 原田三郎右衛門殿 →静岡県史 資料編7「今川氏真感状写」(紀伊 …
今月朔日、簗瀬九郎左衛門令八桑江其行、城廻小屋五六十放火、敵四五十人討捕之旨感悦、於度々如此候段神妙也、弥可抽戦功之状如件、 永禄三年 十一月十五日 氏真判 原田三郎右衛門殿 →静岡県史 資料編7「今川氏真感状写」(紀伊 …
定 一先年依忠節被充行知行之事 一於田峯郷所務仕来人夫銭之事 右之条々、天沢寺殿判形数通任明鏡之旨、永領掌不可有相違、彼印形者為継目之筋迄之間、可申子細於有之者、以先判可申改也、然者去五月十九日於尾州一戦之刻、武節筋堅固 …
就本多助太夫進退困窮、吉田蔵入之借銭、令訴訟之条免許之処、以其引懸、自余之供銭徳政之沙汰申触之由、自由之至也、任証文令催促、可請取之者也、如件、 永禄三年 十月十日 岩瀬雅楽助殿 →愛知県史 資料編11 「今川氏真?判物 …
父和泉入道身上之事、先度子細雖相尋、猶以無疎略之旨、以罰文申上走朧段、明鏡之略申趣聞届候条令赦免畢、守此旨兄弟別而抽奉公之状、仍如件、 永禄三年庚申 十月十日 氏真判 岩瀬雅楽助殿 →愛知県史 資料編11 「今川氏真判物 …
「助五郎殿 御返事 義元」 猶ゝ文御うれしく候、あかり候、いよゝゝ手習あるへく候、ニ三日のうち爰を立候へく候間、廿日此は参候へく候、かミへも此由御ことつて申候、何事も見参にて可申候、かしく、 文給候、珍敷見まいらせ候、此 …
今度御出陣之御留守、海上備、左衛門大夫被仰付候、其地船東海三艘、舟方一艘六人乗、積十八人、中五日致用意、如何様御判船候共罷出、可走廻、十六日目ニハ則可罷、此上難渋申船方をは、則奉行人搦取、可為引船をハ可押立、若奉行就無沙 …
為上州普請、近日出馬候、浦賀ニ者、左衛門大夫父子・遠山左衛門・布施・笠原已下人数、たふゝゝと指置候、可被存心安候、鎌倉ニ者、幻菴可有在陣候、氏政当府之間、其口之儀可被申越候、然間敵地ニ被付置目附、節ゝ可有注進候、其口之儀 …
於于去二月十五日信州水内郡葛山之地、頸壱討捕之条、戦功之至感入候、弥可抽忠信者也、仍如件 弘治三 丁巳 三月十日 晴信(印) 岩下藤三郎との →甲府市史「武田晴信感状」(甲州古文書) 去る2月15日に信濃国水内郡葛山の …
今十九、於信刕更級郡川中嶋一戦之時、頚壱討捕之条神妙之至感入候、弥可抽忠信事肝要候、仍如件 天文廿四年乙夘 七月十九日 晴信(印) 土橋対馬守との →甲府市史「武田晴信感状」(甲州古文書) 今日19日、信濃国更級郡川中 …
今十一巳刻、於信州佐久郡一戦之砌、頸壱討捕之条、神妙之至候、弥可抽忠信事肝要候、仍如件 天文十七戊申 九月十一日 晴信(印) 土橋惣右衛門尉との →甲府市史「武田晴信感状」(甲州古文書) 今日11日の巳刻、信濃国佐久郡 …