某、板垣駿河守に治部大輔が鬱憤を晴らした礼を述べる
今後御自身御合力被山越、委細尊書過分之至存候、誠治部大輔被散多年之鬱憤候、併被加御威力存候、満足不過之候、薫態可申入旨、能々可有御披露候、恐惶謹言、 十一月十八日「各内之中より御返事如此」 板垣駿河守殿 →戦国遺文 武田 …
今後御自身御合力被山越、委細尊書過分之至存候、誠治部大輔被散多年之鬱憤候、併被加御威力存候、満足不過之候、薫態可申入旨、能々可有御披露候、恐惶謹言、 十一月十八日「各内之中より御返事如此」 板垣駿河守殿 →戦国遺文 武田 …
御書旨委細拝見申候、抑今度被出御馬、■■治部大輔、旦被遂本意候、各満足仕候、何様態従是可申上之由、〓(冖+且)預御披露候、恐々謹言、 十一月十八日「近仕衆より御返事如此」 謹上 板垣駿河守殿 →戦国遺文 武田氏編「某書状 …
入海神社奉造立御神殿壱宇 檀那衆伍貫文 水野十郎左衛門信近 天文十三年甲辰十二月 二貫文 仙千代 五十疋 ■■■■ 伍十疋 源次郎 壱貫文 御亀様 同 水野甚十郎妙家 三十疋 水野甚十郎 二十匹 同母儀 三貫七百文 …
「胎内腹部」 奉 造化御影像之事 右、彼施主古郷豆州之住呂、名字朝倉 息女北条九郎之御前 御子ニハ 北条佐衛門大夫綱成、同形部少輔綱房、同息女松田尾州之御内也、爰以至衰老、中比発菩提心、為逆菩提、奉彫刻木像也、 「胎 …
急度申候、仍去年者早々御下共候、然者貴所去年被御申請候御判形、又者先御判形も申掠られ候か、左様之段丹波方被申越候間、牛窪へ御越候而、其御断被仰候而肝要ニ存候、若無御出候而者、重而被申様候ヘハ、貴所御ため如何ニと存候間、早 …
遠州本意之上、於彼国五百貫文之地可進置候、然者井伊與有御談合、早ゝ御行簡要候、巨細使者可申候、恐々謹言、 三月廿九日 北条 氏綱判 奥平九七郎殿 御宿所 →戦国遺文 今川氏編「北条氏綱書状写」(東京大学総合図 …
去十三日、信玄至于府中、不虞乱入、味方失利間、不之〓(繞+台)力、至于懸川之地立馬、先年其国申談候処、甲州横合故、大途伐組模様ニ候、前ゝ之筋目与云、御入魂候者、可為本望候、然者相州追而被仰談所希候、定而氏康父子可被申届候 …
就沓屋之大方死■■御書中候、則御陣下へ進上申候、将又先日之以後、御陣之模様、珍説無之候条、不申入候、重而御左右候者、自是可令申候、其境目珍敷子細候者、御注進尤候、恐々謹言、 三月廿九日 四郎 勝頼(花押) 栗原伊豆殿 …
急度捧愚書候、仍明智・櫛原之属御存分由目出度奉存候、右意趣以使者申上処、安点良表江国中衆出勢与相見候、当陣間近候之条、用心等無油断儘、先以飛却言上候、其表之御備具披露御報可畏入候、恐惶謹言、 二月十日 木曾義昌 甲府御陣 …
(竜朱印)高札 甲・信両国之軍勢、於飛州不可乱妨狼藉、若背此制止者、可行厳科者也、仍如件、 永禄七年甲子 六月十五日 →戦国遺文 武田氏編「武田家高札」(長野市・大林寺文書) 甲斐・信濃両国の軍勢は、飛騨国において乱暴狼 …