鳴海原合戦についてはほぼ考証が固まっているのだが、『戦国遺文 今川氏編』の刊行完了を待って結論を出そうと考えている。
いるのだが、全3巻の予定が終わらずに第4巻を1年以上待った。そしていよいよ今週末の4月25日に発売となった。版元の東京堂出版にいったところ内容が公開されていた。
永禄13年 2437号 ~慶長19年 2650号
今川氏真年未詳文書 2651号~2664号
補遺 2665号~2744号
索引(人名・地名)
補遺が79号あるのは素晴らしい。ちょっとしかないが氏真の年未詳文書も楽しみだ。ただ、その下に恐ろしい文字を見つけてしまった。
※第5巻(索引等収録巻)は2015年1月に刊行の予定です。
何というか、人気が高いために連載終了できない漫画のような展開だ。来年1月と書いてあるが、過去の経験上大体半年から1年遅れると思う。「索引等」というのも解せない。索引は第4巻に入っている。「等」とは何だろう。謎だ。
ちなみに私は、歴史関係の書籍は近所で贔屓にしている書店から必ず購入するようにしている。ジュンク堂本店かAmazonであれば金曜に入手も可能だと思うのだが、馴染みの本屋を応援する。時代遅れと言われても不便でも、そこだけは譲れない。『町の本屋さん』は絶対に必要なインフラだ。
などと言いつつ、配本されるまでの1週間は果てしなく長く感じられるのだが……。
いつもお世話になっております。
もう鳴海原合戦についての結論は固まっていらっしゃるそうで、とても期待しているのですが、『戦国遺文 今川氏編』 の刊行完了が第5巻に延びてしまったということは、来年1月以降までお預けになりますでしょうか。
それから高村さんといえば北条氏政だと、勝手に思っておりまして、氏政の城郭へのこだわりや斎号についてなど、興味深い考察が多いので、カテゴリーを作ってもらいたいほどなのです。
あと高村さんの考察を拝見するたびに、氏政は単独で『人物叢書』に採り上げられて然るべきだと思ったりもしています。
いつもコメントありがとうございます。
今川氏編第4巻は既に入手して、付箋貼りに入っています。第5巻は索引のみとなりそうなので、ほぼ今川氏の文書は出揃ったかと(ちなみに、以前ご質問いただいた植村庄右衛門尉の記録は、残念ながらありませんでした)。
ご期待いただいております鳴海原合戦の仮説は、恐らくまたいつもの重箱の隅方式になりそうです。但し、太田牛一の記述を除外した考察は私が初となる筈なので、いくつか独特の着眼点をお示しできるかも知れません。資料の準備ができましたらまたアナウンスいたします。梅雨が明けぬうちに緒論を上げたい所存です。
氏政については個人的に思い入れがあるのと、文章・性格が判り易いのでよく題材に取り上げています。氏真と並んで、古文書漁りの旅のメフィストフェレス的存在です。どちらも近世以降の評判はよくないですけれど。
鳴海原合戦の調査が終わった後の新課題はまだ決めていませんが、氏政と真剣に向き合う案件(黒駒合戦か三船山合戦、側近の使用方法など)を取り上げてもいいかも知れませんね。ご意見、参考にさせていただきますね。
植村庄右衛門尉の件、お気に留めて下さり、ありがとうございました。
高村さんによる、今川氏側の史料に主眼を置いた鳴海原合戦の考察は、本当に意義深いと思います。これからも自分は様々なところで、桶狭間(鳴海原)合戦の戦闘状況が語られている機会に出くわすでしょうが、そこで、朝比奈親徳が緒戦で重傷を負って退場したことや松井宗信が殿戦で奮闘の末に戦死したことなどに触れられていなければ、きっと物足りなさを覚えるはずです。
コメントありがとうございます。
1次史料で調べだすと、あっさりした『歴史本』が物足りなくなりますよね。こまつさんのサイトで上杉氏の詳細な通史を読むと、濃厚で生々しい様子が伝わってきて、私こそ圧倒されています。今後の更新も楽しみです。
朝比奈親徳の書状は、敵味方通じて唯一、参戦者が語ったという点で貴重なのですが、諸書では親徳自身が著名ではないせいか紙幅をとっていないように思えます。同時に、松井氏と並んで戦績のあった天野氏が別の城を守っていたことや、この時期に福島氏が叛乱を起こしていたことも余り記述されていないようです。
そういえば、氏康初陣と言われる小沢原合戦は新百合ヶ丘に伝承がありますが、何やら芝居がかっている上に地勢上無理があります(扇谷方の深大寺城と渡し場を挟んで対峙する小沢城の方が可能性が高い)。これも桶狭間と同じく、近世に入って交通の盛んな位置に古戦場が移動した例かと憶測しています。本当はここまで調査できればいいのですが、多分手が回らないと思われます……。「氏康」「万福寺」で検索すると出てきますので、ご興味あればご覧下さい。